【音楽エッセイ】All that jazz① ミシェル・ペトルチアーニときらめく光の粒

新しい生活を始める人が多い4月。
私自身が社会人生活をスタートさせた頃を振り返ると、当時何度となく聴いたアルバムがある。
フランスのピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニのライブ盤”Trio in Tokyo”(ライヴ・アット・ブルーノート東京)だ。

毎夜、地方暮らしの足としてローンで買った車で帰路につく。
くたびれたマッチ売りの少女のような気分で、CDをカーオーディオに吸い込ませる。
ブルーノートのアナウンスが流れる。
それに続くピアノの最初の一音が、瞬間にここではない世界を浮かび上がらせる。
先輩や上司に怒られてばかりの冴えない現実とはちがう、照明輝く都会のジャズクラブの熱気を。

ペトルチアーニの特徴といえば、魂を叩きつけるかのような力強い打鍵が挙げられる。
だがこの日の演奏は、ピアノトリオの相性の良さゆえかほどよく肩の力が抜けていて、疲れていても気負いなく耳を傾けられる。
彼の明るくくっきりした音と華やかで繊細な旋律。
ジャズというよりフュージョン色を帯びたスティーブ・ガッド(drums)とアンソニー・ジャクソン(bass)との掛け合いはパワフルで洗練されていて、快く高揚させられる。
ペトルチアーニが妻に贈った曲というSeptember Secondに甘く胸を締め付けられ、いっそう気分は高まる。

しかし私が最も好きなのはそのあと、静謐な雨上がりの木立に佇んでいるような景色に一変する、3曲目のHomeだ。
洗われた空気を深く吸い込むようにペトルチアーニのソロを堪能していると、やがてドラム、ベースが入ってきてラテン系の陽気さが出てくるのが楽しい。
それもいつしか収束していき、最後は再び木立で一人、無数にきらめく光の粒を眺めている感覚にとらわれる。
その景色は寂しく、美しい。

彼の音にはきらめきがある。それは明るさだけでなく、影があるから際立つものだ。

駆け出し時代の相棒だった車は4年半乗って手放した。
一枚の写真もない。
無理して買った大好きな車だったはずなのになぜだろう。
若くて、その時々を生きるのに精一杯で、いつか懐かしく振り返る時が来るとは思っていなかったからかもしれない。
運転席でペトルチアーニが弾き出すきらめきに慰められ、鼓舞された記憶だけが、今も鮮明に残っている。

2018年春、ジャズが多めの音楽エッセイを公式サイトで始めることにしました。好きな音楽とそれにまつわるあれこれを綴ります。更新は不定期です。